産休から復帰しました!フルタイム会社員新米ママの独り言

飲食店の会社員です。第一子育児中&産休中。文章上手く書けるようになりたいです。

26歳、いろいろある年です。死に向かって歩んでいる私。

あとひと月ほどで26歳が終わりますが、

26歳の期間が長く感じます。

 

何なら勝手に書類では27歳と記載していて、びっくりしました。

 

去年の10月私は何をしていた?

 

振り返りで最近簡単なのが写真。

 

写真を開いてみると・・・何もなかった。

 

というのも、この時期はつわりでバタンキュー状態だった。

 

夫とのやり取りや母とのやり取りを見て、

そうか、去年のこの時期の私の記憶があいまいなのは、

そういうことか、と納得した。

 

妊娠から出産にかけて

 

仕事の量も減らしたくて(残業月45時間ぎりぎり攻めるのはいつものことだったので)

フルタイムもしんどいと音を上げた私は、通常よりもさらに少ない時間での勤務要請を、

上司の上司に直談判した。

 

ダメだったら無給でもいいから休んでしまおうかと思ったら、

上司の上司はすぐに動いてくれ、なんとかその時期は超短時間勤務で。

 

ゼロよりかはマシな考えなので、減給でも給料もらえるだけありがたい。

ボーナスに響くと言ったってその時期は何より体が大事だった。

 

後から妊娠時期の体調不良を理由に本人自身の申告で降格させるのはダメだったとか揉めているそうだが、

それで揉めるほどあまり困っていないので、揉める体力がある方が揉めてもらえばいいと思っている。

 

揉めて得られる対価とそのため労力をプラスマイナスしたところで、

あまり魅力に感じないというのもある。

 

夫にその話をしたら、私がそう考えるのであればいいんじゃないかということだった。

 

お互い仕事に関しては同じ会社でもありながらノータッチであるため、

いい距離感である。

 

娘出産までは結構有意義に過ごさせてもらったと思う。

 

このブログを通じて文章を書く楽しさ、難しさを実感し、

文章上手くなるにはやはり気持ちを動かされる文章を読んだり、

構成について考えたりと(この視点は今までなかったため、まだまだ勉強中)した。

 

出産して育児と仕事の日々

 

娘出産後もパソコンにフラフラとなりながらブログを開くものの、

やはりそんなに文字数書けず。

 

企業様からお仕事もらうも、白紙にされてしまったようだ・・・。

 

まだまだ、文章の書き方について勉強していく必要がある、

だけではなく、うまく営業スキルも身につけていかなければならないとも思った。

 

かと言って噓を書くのも嫌というか、やはり後々のダメージが怖いため、

書かないようにはしているのだが、無理な仕事にはしっかりNOということの大切さを知った。

 

バフェットの能力の輪という言葉がよぎる。

 

育児においてもそんな感じで、最低限は誠意をもってやっているつもりではあるが、

人様の育児事情も気になり、どうしても同じ年の子がいると質問攻めにしてしまう。

 

私の娘は私の娘だから、他人と同じなんてことはないのに。

 

他人と同じであってほしいという感情ではなく、

私のやっていることに確かさが欲しいからなのだろうけど。

 

育児と仕事(産休終わり次第すぐ復帰した)に追われていた最中、急に母が倒れた。

 

仕事している最中の1通の電話。母が倒れた、と

 

幸い、母が住んでいる家と赴任先は隣の県であったためすぐに病院に駆けつけることができた。

 

病院に行く高速の中での会話は一生忘れないだろう。

病院から電話をもらい、対応していた。

 

最初倒れたと聞いて、貧血で倒れたのかな?と過去あったことを思い出しつつ、

応対しようと電話に出たが、開口一番に違うやつだと分かった。

 

「お母さまが15分間ほど心肺停止をしていて、救急車で運ばれている最中も戻らず、病院に着き何とか蘇生しました。しかし、ダメージが大きいので、再出血防止のための手術ができるかどうかは明日CTを取って判断します。

お母さまの病名は「くも膜下出血」です。」

 

返事ができなかった。言葉を失うとはこういうことなのかと後振り返って思う。

 

「大丈夫ですか!?」

 

と病状を説明する先生が心配そうに電話口で声を掛けられる。

 

絞り出すように声を出したのもその時が初めてで、

情けないほどかすれた声で「はい…」とだけ答えられたのは覚えている。

 

病院に着き、また先生が実際の写真を見せながら説明してくれた。

 

理解したくないものを聞かされる気分とはこういうことなのかと理解した。

 

しかも皮肉なことに、倒れる1日前、母のところに娘を連れて宿泊していた。

 

母の荷物を取りに母の家に行ったときは泣き崩れて、

旦那の背中にめちゃくちゃしがみついてひとしきり泣いたのを覚えている。

 

また来月ね、と約束したのに、

この家で娘と遊ぶ母をもう二度と見れないかもしれない。

 

そう思ったらやるせなかった。

行き場のない気持ちというのはああいうことを言うのだろう。

 

死亡率の話をされる

 

病院からの電話が苦痛だった。

本当に苦痛だった。

 

まず死亡率について説明された。

最初の脳卒中で死ぬ人は3分の1だと聞かされた。

 

3分の1は生き残って社会復帰し、

3分の1は生き残ってなんらかの後遺症を患う…。

 

幸い母は一命をとりとめ、3分の1に入らなかった。

 

母は自宅で倒れていたらアウトだった。

母は父と別居して16年以上、一人だった。

職場で倒れたのですぐに救急搬送してくれる人がいて助かった。

 

今現在スパズム期も終え、リハビリの日々だ。

 

くも膜下出血の一番重い病状と診断されたが、

医師の予想外にいい方向に行っているみたいで、

経過は順調、意識も戻りLINEが返ってくるようになった。

 

生と死を体感させられた

 

26歳という年は、生と死の両方について体感した。

 

生命が産まれる瞬間は娘から体感して、

死については母から体感した。

 

誰かが言っていたこの言葉を思い出さずにはいられない。

 

「死に向かって歩んでいる」

 

どうしても忘れがちなこの事実を、

しっかりと認識させられている。

 

この忙しい世の中、明日も変わらず来るものだと疑わずにいれる幸せ。

 

でも変わらず来る明日が急に途切れるものだということを思い出させられた。

 

本当に何もかも人生最後になるかもしれないのだなと、

そろそろ26歳という年が終わるちょっと前に思うのだった。

 

現在私は

 

夫とは一旦別居といった形を取り、母の看護もできるように母がいる県にて滞在中です。

 

夫とは出身地が同じなこともあり、夫の方の実家…義実家にお世話になっています。

 

今日も娘を育児し、母の看護にいってきます!

自分のできることをやっていくしかない。

 

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